「青森ねぶたをテレビで見て感動しました。何か一緒にできることはないですか」
鳴海紙店(青森県弘前市)の前田和彦さんがそのメールを受け取ったのは、2019年のこと。鳴海紙店は青森県一帯に販路をもつ紙卸・小売の老舗で、1913年の創業時からねぶた用の和紙の販売を行ってきた。前田さんは青森市内にある同社営業所の所長として、ねぶた用和紙の販売を担当している。
メールの差出人は富士共和製紙(静岡県富士市)。両社の間にそれまで取引はなかったが、前田さんは「ぜひ一緒にやりましょう」と、二つ返事で引き受けた。
「社として地域文化への貢献を理念にしているうえ、私自身も祭り好きで、地元のねぶたに関わることで何かできないかと常々考えていました。そんな折りに富士共和製紙さんの嬉しい申し出を受け、ねぶたの紙を用いて再生紙をつくるプロジェクトを企画しました」と、前田さんは当時を述懐する。
しかし試作に入ったとたん、壁に突き当たった。色付けを行った後のねぶたの和紙は、色鮮やかな染料や墨のほかロウも使う描法が災いし、脱墨を行っても、そこから再生される紙は暗い灰色に仕上げるのが精一杯。印刷や筆記に適した白い再生紙を目指すプロジェクトで、この結果は想定外だった。
前田さんたちの落胆は大きかったが、そこで新たに発案されたのが、ねぶたに使用した後の和紙ではなく、灯籠をつくる過程で骨組みに合わせて切り落とす、色付け前の和紙の切れ端を原料にすることだった。それならば白い再生紙をつくることができ、従来は処分されていた和紙の切れ端の有効活用にもなる。
新しいアイデアによる再スタートを切った矢先、前田さんたちは思いがけず足踏みを余儀なくされる。コロナ禍によるねぶた祭の中止であった。2020年・2021年の2回にわたる中止は、このプロジェクトに暗い影を落としたが、前田さんは希望を捨てることなく、中止期間中も富士共和製紙や懇意にしているねぶた絵師たちと連絡を取り続けたという。
コロナ禍が収束に向かい、再開された再生紙プロジェクトでは、製造機械のロットに合わせて和紙の切れ端を400kg以上集めることが課題となった。当初、切れ端回収の許可を得ていたねぶたの団体は1団体のみで、集めた切れ端は30kg程度だったが、それを鳴海紙店の顧客である22団体すべてに拡大して声かけを行ったところ、全団体が賛同し、目標を上回る500kgの切れ端が集まった。
ねぶた団体の人々の心をとらえたのは、前田さんたちが考えた「ねぶたの再生紙で卒業証書をつくり、子供たちに地域の一員として巣立ってほしい」というビジョンだった。「未来ある子供たちに何かを託せるなら」と、次々と賛同者が現れ、前田さんたちにエールを送ったのである。
その後再生紙は筆記や印刷に適した品質になるよう試作を繰り返し、卒業証書として通用する、風格のある紙が出来上がったのが2024年10月。コロナ禍をはさみ6年がかりで完成させたねぶたの再生紙は、翌年3月に青森市内の小中学校4校において卒業証書として採用された。
採用校から卒業式に招待された前田さんは、ねぶたの再生紙でできた卒業証書を受け取り喜びの笑顔を浮かべる子供たちを見て、それまでの苦難と苦労が報われる思いがしたという。
「ねぶたからつくられた卒業証書を手にして感動した、最高の卒業式になったという声を多数いただきました。私も紙の販売に携わるようになって長いのですが、紙に人の心を豊かにする力があるのを改めて実感した出来事でした。紙がデジタルに押されているという現実はありますが、これからも『紙だからこそ伝えられるもの』を大切にしながら、変化を恐れずにやっていきたいと思います」(前田さん)
再生紙プロジェクトの進行中にあたる2021年に日本紙パルプ商事グループに加わった鳴海紙店。ねぶたの再生紙は卒業証書のほか、サステナビリティに関心の高い企業や自治体を対象とした筆記用紙やパッケージ資材としての販売を見込んでいる。「ねぶた」という地域文化を紙に託し、環境保全の意識とともに未来へと受け継ぐこの取り組みは今後も発展が期待できそうだ。
このコラムに掲載されている文章、画像の転用・複製はお断りしています。
なお、当ウェブサイト全体のご利用については、こちら をご覧ください。
OVOL LOOP記載の情報は、発表日現在の情報です。
予告なしに変更される可能性もありますので、あらかじめご了承ください
紙だけでつくられた入場証「かみのぱす」は、2025年1月にリリースされた。QRコードや本人の肩書をプリントする入場カードはFSC認証紙、首から提げる紐はマニラ麻を原料とする紙糸、カードと紐をつなぐクリップは木材パルプ100%の生分解性素材でできている。
紙糸の原料となるマニラ麻は生長時に二酸化炭素を吸収する力が高く、紙のクリップ部分は弾力性と耐衝撃性に富み、使いやすさと環境への配慮を両立した仕様だ。
この「かみのぱす」を開発したのは株式会社システムフォワード(福島県いわき市)である。同社はクラウドシステムの構築を得意とするIT企業で、以前から主力製品の展示会受付システムとともに、来場者が身につける入場証を顧客に提供してきた。
そこで顧客、つまり展示会の主催者より数年前から寄せられていた要望が「SDGsを踏まえ、入場証を環境に配慮した仕様に変更してほしい」というものだった。
「そこでビニールケースをやめ、入場証をすべて紙でつくることを思いつきました。はじめは穴を開けた入場カードに必要事項をプリントして紐を通すスタイルを考えましたが、試しにやってみると、穴がプリンターに引っかかってプリントしづらかったり、紐を通すのに手間がかかることがわかりました。それでは列に並んだ来場者を待たせてしまうので、そうならないよう別の案を考えなくてはなりませんでした」(システムフォワード社長・大内一也さん)
入場証は来場者が持参したデータを元に、受付時にプリントする必要がある。混み合う受付カウンターで、手間をかけず「スピーディーに入場証を発行できる」のは、はずせない条件だった。
そこで思いついたのが、入場カードにあらかじめミシン目を入れ、プリント後に切り取って穴をつくり、紐付きのクリップを差し込む形だった。クリップに適した紙素材は難なく見つかり、「紙だけでできた入場証」は実現に一歩近づく。
しかし、意外に難航したのが首に掛ける「紙製の紐」であった。
「まず、和紙でできた紐を試してみましたが、思ったよりも硬く、首から提げるには不向きでした。その後に見つけた麻の紙糸は、ハリとコシがあり手触りもよかったのですが、ちょうど良い太さのものが見つかりませんでした。最終的に、紙糸の製造会社から提案された、マニラ麻の紙糸を3本撚り合わせた紐を採用することにしました」(大内さん)
その紐を採用して完成させた「かみのぱす」は非常に好評で、もともとの目的であった「環境負荷の低減」を達成しただけでなく、事後に回収した入場証の分別処理を容易にするという副次効果も生んだ。
というのも、入場カードは個人情報が含まれるため、本来は本人が持ち帰り、ビニールケースだけを会場に置かれた回収ボックスに戻すことが推奨されているが、入場カードが入ったままのビニールケースを回収ボックスに戻す来場者が少なくないため、主催者側でケースと入場カードを分別し、個人情報保護のために使用済みの入場カードを溶解処理していたという事情がある。
入場証をすべて紙にしたことで、主催者側はこうした手間から解放されたというわけだ。
紙だけでつくられた入場証はたたずまいが自然で、来場者も違和感なく使用できているようだ。その様子を目にした大内さんは「そこはかとないスマートさを感じました。ぜひ『かみのぱす』を、今後の入場証のスタンダードにしていきたい」と、力を込める。
ユーザーが違和感なく使用でき、スマートに見えるのなら、製品デザインとしては大成功といえる。製品コストが従来のビニールケース仕様の入場証と同等であるというのも頼もしい。
現状では、受付スタッフがカードのミシン目を切り取るひと手間が課題となっており、受付作業の一層の短縮化が求められているが、それもいずれ解決されていくだろう。大内さんが望むように、『かみのぱす』が入場証のスタンダードになる日はそう遠くないのかもしれない。
ライター/石田 純子 著書に『デザイナー・編集者のための紙の見本帳』(エムディエヌコーポレーション)ほか
■ コラム「紙が塗り替える風景」のバックナンバーはこちらからご覧いただけます。
このコラムに掲載されている文章、画像の転用・複製はお断りしています。
なお、当ウェブサイト全体のご利用については、こちら をご覧ください。
OVOL LOOP記載の情報は、発表日現在の情報です。
予告なしに変更される可能性もありますので、あらかじめご了承ください