歯科治療を苦手とする人は少なくないだろう。
そのためか、待合室には子供向けのおもちゃや絵本が置かれていたりするが、「大人」に向けた対策はあまり見かけない。
しかし一部の歯科医院には、大人の緊張をやわらげ、気持ちを落ち着かせる「紙」が置いてあるという。
歯科医院の待合室で椅子に腰掛け、治療を待つ間というのは微妙な時間だ。緊張する半面、時間をもて余してもいる。
雑誌や新聞が置かれていることもあるが、それに目を通していてもやはり落ち着かないというのが正直なところだろう。
「はなはなし」はそんな大人に向けた、紙一枚に収まる読みものである。漢字で書けば「歯な話」となるだろうか。月2回発行、歯科医院だけで入手できるユニークな刊行物だ。
ショートストーリーあり、エッセイあり、詩やコミックもありと内容は多彩だ。そのどれもが読み切りで、治療待ちの短い間に目を通せるようにコンパクトなボリュームに抑えられている。
とりわけ目を引くのが、400字詰めの原稿用紙を模した紙の上に、作家の手書き原稿が再現されていることだ。人の手から生み出された文字の痕跡は、書き手の息づかいを伝え、読む人に語りかけてくるようでもある。紙も本物の原稿用紙の紙質に近く、まるで作家の生原稿がそこにあるかのようだ。
発行元の株式会社ミック(東京都新宿区)は、歯科医院向けのシステム開発を主な事業として展開しており、このような読みものを自社で発行するのは初めてだという。
ミック総合企画部企画課長の大木聡さんによれば、ヒントになったのは商品企画者の一人がとある個展を訪れ、手書きの説明文を目にしたときの様子を話してくれたことだった。
「作家が自ら手書きした文字を追ううちに、作品そのものとは少しトーンの違う、その人自身を感じとれたような気がしたというのです。手書きだからこそ気持ちがすっと入っていく。そこに緊張をやわらげ、見た人をなごませる何かがあるのでしょうね」(大木さん)
その経験が活かされて出来上がったのが「はなはなし」である。展覧会で感じ取った手書きの良さを活かしながら、歯科医院と患者のコミュニケーションを取り持つツールとして、気軽に読め、患者の緊張がやわらぐように配慮しながら構成や体裁を作り上げていった。
執筆陣には著名な作家たちが名を連ねる。原稿依頼時に「歯科医院向けなので歯に関連する話で」「緊張をやわらげる内容を」と説明すると、作家側の理解は総じて早く、また実際にユーモラスな味わいの作品が上がってくるという。誰もが経験したことのある緊張感への配慮がそうさせるのだろうか。
現在、「はなはなし」が置かれている歯科医院は全国で150〜160カ所ほど。
ときには作家自身が「はなはなし」に寄稿したことをツイートするなどし、それを知った読者が「どこで手に入りますか」と、ミックに問い合わせてくることもあるという。
歯科医院にしかない読みものを入手するために治療を受けるのはちょっと……と読者に代わってこちらが躊躇していると、「歯科検診を受けていただくといいかもしれませんね」と、大木さんが的確なアドバイスをしてくれた。
「書く」という行為が手書きからキーボードの入力に置き換えられ、「作家の手書き原稿」が貴重な存在となった今、手書きを再現した文字はノスタルジーだけではない安らぎを改めて感じさせてくれる。それが緊張をともなう場面であればなおさらだろう。
手にすれば安らぎを感じ、定期刊行されていると知ると、「次はどんな話だろう」と、ちょっぴりワクワクする。一枚の紙の上に展開される読みものは、そんな気持ちをやわらかく受け止めてくれるはずだ。
ライター 石田 純子
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